【インタビュー】東雲さんに聞いてみた ♯01

about this interview

このたび東雲怜弥さんにご快諾いただき、ロングインタビューの機会を頂戴しました。東雲さんといえば、学生時代は自転車競技のアスリートとして活躍していた異色の経歴の持ち主。東雲さんのこれまでの経験とひとつひとつの出来事の背景について、取材させていただきました。

インタビューは前編・後編に分けてお届けします。
今回は前編として、学生時代のエピソードを中心にご紹介します。後編はこちらから

【追記】
本記事の1年半後の後日譚インタビュー(♯04)はこちらからどうぞ。
(文字数の関係で、スマートフォン表示推奨です。)

English version → Click here


みゅう

今日は貴重な機会をいただき、ありがとうございます!よろしくお願いします。

東雲怜弥

いえいえ!よろしくお願いします!

以前YouTubeで、中学校の時に受けたスポーツテストをきっかけに東京都のジュニアアスリートになったというエピソードを聞きました。まずは、その経緯について教えてもらえますか?

東雲:
まず、中学校2年の時にスポーツテストを受けたら、全種目で満点(10点満点)取ったの。

全種目で満点?!種目はどんなものがあったんですか?

東雲:
50m走、持久走、立ち幅跳び、上体起こし、ハンドボール投げ、反復横跳び、あとはシャトルランとかかな。たしか10種目くらいあると思うんだけど、それが全部満点で。当時はまだ全然トレーニングとかしてなかったのにね。満点の中でも、記録(数値)が異常に良かった種目がいくつかあって。

超がつく、スポーツ万能だったんですね。

東雲:
そうだね。でも、当時入ってたバスケ部は、ほんと弱小だったんだけどね。

(笑)そしてそこから、どういうルートで、ジュニアアスリートへの誘いがあったんですか?

東雲:
東京都の計画で、いつか東京にオリンピック招致するから、オリンピックに出場する東京育ちの選手を育成しましょうっていうのがあって。それにはさっき言ったスポーツテストの結果をもって応募するんだけど、通ってた中学校の先生がたまたま教育委員会とかにコネクションを持ってて、その先生から「応募してみない?」って声をかけられたのがきっかけかな。

じゃあ、その先生のご紹介で、ジュニアアスリートに?

東雲:
いや、試験はちゃんと全部受けたんだよ。三次試験とかまであったと思うんだけど、全部通って合格して、ジュニアアスリートになったの。一期生だったんだよ。

ジュニアアスリート一期生だったんですね。自転車競技を選んだのはどういう理由だったんですか?他にも選択肢はあったと思いますが。

東雲:
もともとお父さんがバイクレーサーで、小さい頃から「競輪はいいぞ!稼げるから!」ってお父さんから言われてて。時々お父さんと一緒に自転車で出かけたりしていて、子供ながらに「自転車って楽しいなぁ」と思ってたんだよね。だから、小学校の卒業文集には将来の夢で「競輪選手兼和太鼓奏者になります」って書いてた。

なるほど、お父さんの影響があったんですね。東雲さんといえばご家族とのエピソードも興味深いです。どんなご家庭で育ったんですか?

東雲:
うちは両親が共働きだったから、割と放任主義な家庭だったの。お父さんは旅番組のディレクターで、仕事でしばらく家に戻ってこないことも多かったし、お母さんも働いていたから。で、教育方針っていうか、例えば何か欲しいものとかお小遣いとかは、親から課題を出されてそれをクリアするともらえるシステムになってたの。

面白い教育方針ですね。例えば、どんな課題があったんですか?

東雲:
お小遣いはお母さんからもらってたんだけど、月に1回必ず小説とか活字の本を読んで、それを読んでお母さんに報告するともらえるの。読む本は何でもよくて、自分で学校の図書室に行って選んだり、図書室にない時はお母さんに「この本が欲しいので買ってください」って言って買ってもらってた。

なるほど。以前Twitterで、小学校の時の卒業文集に「読書家」と書かれていたエピソードが紹介されてましたが、その経験で培われたものだったんですね。

東雲:
他に欲しいものはお父さんに買ってもらってたけど、出張の前にお父さんから何かしらの課題を出されて、出張から帰ってきたらその課題にお父さんの前で挑戦して、成功したら欲しいものが買ってもらえるって感じだった。課題って例えば、近所の公園を竹馬で一周するとか。

ご両親のそういった工夫、自分の子育てでも参考にさせていただきたいです! ちなみに、先ほどの回答で「和太鼓奏者」というワードも出てきましたが、和太鼓はご家族の勧めで始めたんですか?

東雲:
和太鼓は、お母さんが近所の祭りで見て格好良かったからという理由で俺に勧めてきたのがきっかけ。和太鼓を習う中で、演目のひとつとして民族舞踊を習える曜日もあったから、それにも参加してたよ。

なるほど。お母さんの習い事のチョイスが、なかなか渋めでユニークでよいですねぇ。


話を戻すと、そもそも自転車競技というものをよく分かってないのですが、短距離とか長距離とか、競技での専門はあったんですか?

東雲:
自転車競技は大きく分けて、短距離と長距離に種目が分かれていて。短距離はいわゆる競輪場で行われるトラックレース。長距離はロードレースだから、道を貸し切ってやるようなレースね。俺は短距離が専門だったけど、たまに長距離のレースに出たりもしてたよ。チームメイトのアシストとかで。

アシストっていうのは、自分は走らないということ?

東雲:
いや、自分も走って、選手を休ませてる間にレースをかき回したりとか。あと、他のチームがアタックかけてきたのを潰しにいったりとか。そういうチーム戦があるんだよね。

漫画の『弱虫ペダル』の世界のような?

東雲:
俺が出ていた長距離の方は、弱虫ペダルの世界だね。

なるほど、面白そうですね。中学卒業後は体育系の高校に進学したんですか?

東雲:
いや、高校は普通の公立高校。

そうなんですね。その学校に自転車部があったんですか?

東雲:
実はなかったんだけど、学校説明会に行った時に、自分で事情を話して「自転車部が欲しいです」っていう話をしたの。そしたら、「入試に受かってくれれば前向きに検討できます」っていう回答だったから、じゃあこの学校を受けまーす!って。

学校説明会の時に、自分でそれを説明したんですか?

東雲:
そうそう!まだ入試を受けてもいない状態なんだけど、「この学校でできますか?」って聞いて、大丈夫って言われたから、その高校を受けたんだよね。

凄いですね! そういう受験をした人を今まで聞いたことがないです。

東雲:
ちなみにね、その学校を選んだ理由は、サイクリングロードをずっとまっすぐ行ったらそこにあったから。

家からその高校まで?

東雲:
そうそう。川沿いのサイクリングロードをずっとまっすぐ進んだら、その学校に当たったから(笑)ここだったら、トレーニングがてら通うの、めっちゃいいなぁと思って。

(笑)確かに、それで通えたら最高ですね。

東雲:
まあ、学校がちょうど良い位置にあって、高校で何を学べるとか、偏差値とかはあんまり気にしてなくて、ある程度落ち着いた環境で競技に集中できればいいやと思ってたからね。それでまあ、部活も作ってくれるって言うし。

(笑)でも、自分のやらなきゃいけないことというか、やりたいことと、それができる環境を与えてくれるところを見つける能力が凄いですね。

東雲:
ラッキーもあったんだろうね。だって、あちこち回っても部活作るのはちょっと、って言われてもおかしくないし。

あまり聞かないですよね、自分で部活作るって。

東雲:
なんか、何人集まれば同好会で、何人集まれば部活で、っていうシステムだったんだけど、俺はインターハイに出るための登録が必要だから部活が欲しかっただけで、他の部員は要らないですって言って。

それで、実際に入学したら、ちゃんと作ってもらえたと。

東雲:
そうそう。で、作ってもらったら、ちょうどクラスの担任の先生がその高校に赴任してきたばっかりの人で、手持ちの部活がなかったから、自転車競技部の顧問になってくれて。

おお、またしてもラッキー!

東雲:
本当に何も自転車に興味がない人だったけど、タイミングが合ったっていう理由だけで顧問になってくれて。その先生がめちゃめちゃ良い人で、多少自転車のことも知っておいた方がいいかなって、自転車競技の審判の資格まで取ってくれたの。

そのレベルまでやってくれる先生が高校にいたのが、素晴らしいですね。

東雲:
本当に感謝だよね。

高校入学後は、目標にしていたインターハイに出場できたんですか?

東雲:
インターハイには高校2年の時に行けた。高校生の出場できる大会は、4大大会って呼ばれてて、選抜大会、国体、インターハイ、ジュニアオリンピックっていうのがあるんだけど、高校1年の時に選抜大会に出て、2〜3年の時には全部出ていたんじゃないかな。

本当にしっかり、アスリートとして活動していたんですね。

東雲:
ちゃっかりアスリートやらせてもらってたねぇ。でも、目標としてたインターハイで落車して、皆さんおなじみの右乳首が取れたんだよね。俺の右乳首は、新潟の弥彦競輪場の第3コーナーあたりに落ちてると思う(笑)

そんな大事な場面で右乳首を紛失したんですね(笑)作品を見る限り乳首は無事に再生したようですが、そういう大怪我を負うような事故はよくあるんですか? 競輪ってスピードがめちゃめちゃ速そうで、見てるとハラハラするんですが…。

東雲:
事故は全然よくあるね!速度は大体70〜80km/hくらい出てるよ。アマチュアのレースだとヘルメット以外の防具も付けてないし、乳首取れた時は腕も折れてたし。他のレースで事故った時は「一生腕が動かないかも」って医者に言われるような怪我を負ったこともあったなぁ。まぁ、秒で治ったんだけどね。

なかなかスリリングな競技なんですね。でも、大怪我も秒で治るとは、東雲さんの体はいったいどんな造りになっているんだ…。


高校卒業後は、日体大(日本体育大学)に進学したんですね。日体大には自転車競技部があったんですか?

東雲:
うん。他にも自転車競技部がある大学はあったけど、興味ない学問を4年間勉強するのってしんどいなって思って、もともと競輪選手になるつもりだったし、筋肉とかスポーツのこととか勉強できるし、だったら日体大かなって。

他の勉強をしながら自転車も続けるという選択肢もあったと思いますが、そこはやはり体育系というか、体のことに興味があったんですね。

東雲:
いやあ、勉強は全然好きじゃなかったから。

あれ、そうなんですね?

東雲:
高校も朝練してから通ってたから、授業はもう全部寝てて。で、先生も「彼は、しょうがないね!」って感じだったし。

自転車だけをやりに来てる生徒だったんですね。

東雲:
そう(笑)でも、なんだかんだ、横断幕とかはずっと学校に飾られてるからさ。

この学校で活躍している生徒、ということですね(笑)でも、意外でした。勉強が好きそうなイメージがあったので。

東雲:
なんかね、気になったことは絶対すぐに調べるし、何でこうなってるんだろう?って思ったらさらに深く調べるけど、相手から与えられた知識に対して興味が湧かなければ特に何のアクションも起こさないかな。

授業とか、先生が前の方で何か言って、それを一生懸命ノートに取るっているのは、あまり性に合わない感じですね。

東雲:
そうだね。なんとなく、そこに面白い知識はないって思ってたんだろうなぁ。だから、数学が得意だったんだよね。例えば社会とかは、生きていない時代のこととか、行ったことない場所とかの話だから全然興味持てなくて。でも数学は、原理がわかっていれば暗記しなくても、教科書に書かれている公式さえ覚えていれば解けるし、日常でも使えるから得意だったんだろうなぁ。

基本的に、自分の頭で考えるのが好きなんですね。

東雲:うん。だから、歴史で何年に何が起きたとか、本能寺の変がどうでとか言われても、知らんがなって思って覚えられなくて。

知らんがな(笑)

東雲:
でも俺、短期記憶は得意だったから、友達からノート借りて、その友達よりも良い点を取っちゃうタイプだった。

ああ、とっても嫌なタイプですね(笑)自分でノート取らないのに、貸した人よりも点が高いって。

東雲:
そう、嫌われていただろうなぁ。それも、今後絶対に使えない覚え方してた。語呂合わせとか歌とかにして無理やり覚えたりしてたからさ。だから、今聞かれても、一つも身になっていない(笑)

本当にその場凌ぎの勉強法ですね…。でも、スポーツ万能でキャラクターも面白くて、そういう人はクラスにいると男女問わず人気者だったんじゃないかなと思いますが、実際どうだったんでしょう? 自分はモテるなぁという自覚は学生時代からあったんですか?

東雲:
普段からモテるなぁという自覚はあんまりなかったけど、体育祭とかイベントの時には一緒に写真撮りたい人の列ができたり、卒業式は第2ボタンで留まらずにほぼ身ぐるみ剥がされたりして、そういう時は「あれ?俺って人気者!?」って思ってたかなぁ(笑)

競技に集中していて気付かなかったのかもしれないけど、それはかなりモテてたんだと思いますよ…? さて、大学に入学するわけですが、日体大では何学部だったんですか?

東雲:
体育学部体育学科!

そのものずばりですね。

東雲:
うん。厳密に言うと、教育スポーツ領域と競技スポーツ領域っていうのがあって、俺は競技スポーツ領域だった。

そうなんですね。自転車競技は、4年生まで続けていたんですか?

東雲:
そうだね、4年生までやってた。

別のインタビューで、自転車競技は腰の病気で引退することになったというのを拝見しました。発症したのはいつ頃だったんですか?

東雲:
大学3年生の冬かな。コンパートメント症候群っていう病気で、簡単に言うと筋肉の鍛えすぎが原因で発症する病気なんだけど。筋肉の中に通っている毛細血管を筋肉自体が締め付けちゃって、体の中に血が回らなくなっちゃうの。

その状態だと、選手として競技を続けていくのは難しいものなんでしょうか?ケアしながらだったら続けられる、というものではないんですね。

東雲:
ごまかしごまかしで、マッサージとかで筋肉を緩めて競技に出ることはできたんだけど、これ以上鍛えたら症状がひどくなるし、手術をして筋膜を開かないと根本的な治療はできないっていう話だったから。だから、これ以上は強くはなれないんだっていう感じだったね。

鍛えすぎて発症する病気ですからね。だとすると、もうこれ以上強く、高いところに行けないのであれば辞めようと思ったんですか?

東雲:
そうだね。

それは相当ショックな出来事だったと思いますが、どうやって気持ちを切り替えたんでしょうか?

東雲:
ショックはショックだったし、悩んだけど。そもそも競輪選手になろうと思ってたし、社会に出て他に俺にできることって何があるんだろうって考えても、思い浮かばなかったからね。でも、ショックだなって思っている状態が続いたとしても解決はしないから、じゃあどうしようかなって、自分にやれることを探したって感じかな。

それはすぐに切り替えられたんですか?それとも、やっぱり時間がかかりましたか?

東雲:
うーん、この期間引き摺っていたとかはないけど、「何していこうかな?」っていう状態はなんだかんだ続いたかな。

そうだったんですね。そこから、だんだんと就活を始めていったんですか?

東雲:
自転車競技の東京代表チームの先輩に、リクルート系の会社に勤めている人がいて。オファー型の就活ができる会社だったんだけど、まずはそこに登録して、って感じかな。

オファー型の会社に登録したんですね。一般的な大手の就活ナビは、選ばなかったんですね。

東雲:
そうだね。当時、体育大学の学生が売り手市場というか、即戦力として色んな会社で重宝されているって聞いて。だったら、そういう需要があるんだったら、オファーをもらって活躍できる場を見つけるのもいいかなって思って。

先ほどからお話伺っていて、自分に求められているものを把握して、それを発揮できる場所を見つける力があるんだなぁと感じます。

東雲:
そうね、客観的に自分に今求められているものとか、クオリティを考えて、自分にはっぱかけるタイプというか、供給することを常に考えてるかもね。


会社員時代の話も伺ってみたいと思いますが、新卒でIT企業に就職したんですよね。入社後すぐに出世して部下もいた、という話を聞いたことがありますが、本当なんですか?

東雲:
うん。その会社に就職を決めた理由でもあったんだけど、その会社は100人新卒の採用枠があって。新入社員にITの資格を3つ取るスピードを競わせて、上位5名までが幹部候補枠に昇格になって、給与とか雇用形態が変わりますっていう会社だったの。俺はそれに挑戦したくて、その会社に入ったんだよ。

それで、ITの資格3つ取るチャレンジを上位でやってのけたと?

東雲:
そうそう。なんか、どうせ取るって決められてるんなら、取ってから入ったら勝ちじゃんって思って。ズルだったんだけど、入社前に全部取ったの。そしたら、前代未聞です!ってなって。もう幹部候補として入社でいいよ〜ってなって。

(笑)そんな新入社員は、今までいなかったんですね。

東雲:
そうそう。それで幹部候補枠として、ジェネラリスト採用で入社したの。他の人たちはまずはエンジニアとして入って、適性があれば管理職に引っ張ろうねという感じで。

はあ…。ズルとはいえ、なんだか凄い話ですねぇ…。

東雲:
なんかこの話だけ聞くと、アニメみたいだよね(笑)

ほとんど嘘を言っているようにしか聞こえないんですが、本当の話なんですよね?(笑)

東雲:
そうなんだよなぁ、俺の人生って嘘みたいな本当の話なんだよなぁ。マジで小説書けると思うんだよなぁ。

みゅう

実は年表を作ろうと思ってたんですが、聞いた話の中身が濃すぎる…。

東雲怜弥

たしかに、年表だけで伝わるかな。年表だけ見た人が、説明がないと厳しいってなるかもしれんな。

みゅう

これ全部ひとりの人生に起きた話なんだろうか?って感じになりそう。

東雲怜弥

たしかに(笑)



前編はここまで、続きは後編でご紹介します。

(みゅう)

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